フジTV19時〜 『Dのゲキジョ−』 堀越学園時代にユッコと同級生で親友だった元女優・高部知子が彼女への思いを事件後、長い沈黙を破り捨て涙ながらにメディアで初告白。 また自身が人気絶頂の中で引き落とした『ニャンニャン事件』の真相と転落人生の苦悩と半生を赤裸々に告白した。 ■本名・高部知子 ■1967年8月25日生まれ ■東京都文京区出身 ■身長160cm ■血液型B型 ■堀越学園卒業{有希子と同級生) ー活動履歴ー ■1978年 6歳でジャノメミシンCM出演 ■1980年 8/18−9/5 NHK銀河テレビ小説『ガラスのうさぎ』で原作者・高木敏子にスカウトされて主演を努める。 戦争孤児を見事に演じて『天才女優』と絶大な評価を受けて13才で女優デビュー。 ■1981年 7/5−8/27 TBS愛の劇場『わが子よ』 難病の骨肉腫で片腕を切断しながらも前向きに生きて行くヒロインを熱演して高視聴率を得る。 役作りの為に日常でも片腕を体に縛り付けて、片腕だけの生活を何日も送る。 ヒロインに成り切る彼女は、全て台詞を直ぐに暗記してしまう為に撮影現場に台本を持って行った事はなかった。 ■1982年 9月22日 テレビ朝日『欽ちゃんのどこまでやるの!?』 三つ子姉妹『わらべ』長女・のぞみ役でレギュラー出演を開始する。 『めだかの兄弟』が80万枚の大ヒットとなり一躍人気アイドルとなった。 ■1983年 2/5−3/5 TBS『積木くずし』主演。 主人公の不良少女役で母親役の女優・小川真由美を相手に鬼迫ある演技を見せつけて最高視聴率45・3%という驚異的な記録を叩き出し彼女の代表作となる。 ■1983年 一枚の写真が彼女の運命を変える…。 ベッド上での喫煙写真が写真週刊誌に『ニャンニャン事件』として掲載された。 掲載写真は友人仲間達と集まった時に「積木くずしポ−ズ」をねだられて、その場のノリで軽い気持ちで応じたもので実際には、煙草は吸わずに演技で持っていただけで撮影された。 しかし、当時15歳の彼女には、この軽率な行為自体がその後の彼女自身をドン底に引き落とす事になる事など知り善しもなかった。 軽率な行為で撮影された写真は3ヶ月後に週刊誌に流出された。 ニャンニャン事件によって『欽どこ』を降板する。 同年11月3日に劇場公開された劇場版『積木くずし』もクランクイン後に急遽、降板して女優・渡辺典子の代役によって公開された。 その後、一切の芸能活動を1年間休止に追い込まれて謹慎処分となり、普通の高校生に戻って学校に通う日々が続く。 そんな日々の中でもマスコミからの取材攻撃されて、世間からも冷たい目を向けられ石を投げられた事もあった。 彼女を追い詰めたのは写真流出によって人気女優から一転して、世間に植え付けられた彼女は堕落したアイドル女優のイメージだけだった。 それでも家族や友達に励まされ続けて、誹謗中傷に落ち込む彼女も落ち着きを取り戻しつつあった。 ■1984年5月 自伝手記『告白ハンパしてごめん』出版と共に芸能活動を再開する。 9月13日 写真撮影に関り、写真を流出した恋人と噂された友人男子が謎の自殺を遂げた。 友人の自殺で余りのショツクに彼女は再びドン底に突き落とされてしまう。 そんな高部知子の支えになったのが同じ堀越学園でクラスメイトの佐藤佳代(岡田有希子)だった。 既に華々しく歌手デビューを果たして、清純で可憐なトップアイドルとして活躍中であった佳代は、周囲から非難を浴びる高部知子に対して何も変わる事なく、常に側に居て優しく勇気付け、励まし続けていた。 高部知子にとって佐藤佳代は大切な親友だった。 こうして知子は、佳代からの変わらぬ温かい励ましと友情で徐々に本来の明るさを取り戻して行く事が出来た。 しかし…4月8日、友人からの余りに突然の電話で親友・佳代の自殺の報せを受けてショックを受ける。 多くの友達の態度が変わったんですけど、身の回りの本当に近い友達は何も変わらなかったです。 それが逆にとっても嬉しかったんですね。 だから心からその親友を大事に思ったんです。 自分の中で1番、辛かったのは、結局、自分を助けてくれていて、支えていてくれたのにも関わらず、彼女が私に頼って来た時には支えてあげられなかった…。 助けて挙げられなかった…。 楽にして挙げられなかった…。って言うのかな。 求められてる者に対して、気付かずに手を差し延べて挙げられなかった…。 彼女に『めんなさい』って事さえも言えず…、それが本当に辛かったですね…。 どうして私が今まで、ずうっと口にしなかったかと言うと。 私自身がどう思われるかではないんですよ。 やっぱり、どうしても親友の事を言うのが辛かったんです…(涙) だから、それが真実であって、事実じゃないとかって事ではないんです。 もう、それこそ20何年も過ぎて、言葉は悪いけど、どうでも良いって言うか。 そうではなくて、何も知らないまま、若いまま親友が死んでるっていう事実が辛いんですね…(涙) その事を口にする事が辛いんです…(涙)」 佳代の死のショツクから彼女自身も5回もの自殺未遂を図って、幼な馴染みの友人達が駆け付けて命を助けてくれた。 その友人の中の一人と結婚して芸能界を引退する。 しかし、2児の母親となったが2人の子供は心臓病を患い看病の為に夫と別居生活となり夫の浮気が原因で離婚をする。 2度の結婚と離婚後に芸能界に復帰する。 ■2000年4月 慶應義塾大学文学部哲学科を通信教育で学ぶ。 ■2006年3月 同大学を卒業後、心理士の資格を取得する。 ■2008年4月 精神保健福祉士を目指して、福祉系大学の通信制に入学する。 以降、精神保険福祉士として、育児や子育ての講演会ゲストに多数出演して活躍し続けている。 <<重要なお知らせ>>@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
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